「記憶」というファンタジー

私は、もともと忘れっぽい人間ではありましたが、

 

ここ最近、その傾向に

 

いよいよ磨きがかけられてきた感があります……。

 

 

 

でも、このおかげで、すごく楽なんです。

 

余計な「記憶」に振り回されなくて済むのは、楽です。

 

大変な安心感の中で息をさせてもらっている感覚です。

 

 

 

そりゃ、加齢現象だ! とか、

 

年取って図太くなったんだ! とか、

 

まあ、もちろん、そういうのもあるとは思うのですが、

 

それ以上に、

 

私の中の「記憶」というものに対する幻想が

 

かなりの段階まで消えてしまったことが

 

一番の原因だと思っていて。

 

 

 

以前の私は、

 

「私」という人間は

 

「記憶」によって作り上げられている!

 

……という信念を抱えて生きていて。

 

いや、いっそのこと

 

「私」=「記憶」

 

と言ってしまってもいいかな。

 

 

 

とにかく、「記憶」がなかったら

 

「私」を保つことはできないだろう、

 

……と思っていたんです。

 

 

 

だから、ありとあらゆる「記憶」を抱きかかえて、

 

どこへ行くにも後生大事に持ち運んでいました。

 

 

 

でも、あるときふっと思ったんです。

 

「記憶」って、

 

そんなに大切に持ち運ぶべきものなのかな?

 

って。

 

 

 

いや、もちろん、「記憶」は大事です。

 

「記憶」がなければ、

 

社会生活を営むことができなくなってしまいます。

 

 

 

でも、どうなんでしょう。

 

 

 

「記憶」は大事なものだ!

 

大切に抱きかかえて生きていかなきゃいけないものだ!

 

……なんていう風に力まなくても、

 

「記憶」は必要なときには目の前に立ちあらわれてくれるし、

 

LIFEは淡々と展開していくよなあ、って。

 

そこに「私」の力なんか、まったく作用していないよなあ、って。

 

 

 

これは大きな発見でした。

 

 

 

「忘れる」ということが起きるならそれがベストだし、

 

「思い出す」ということが起きるならそれがベスト。

 

ベスト、というか、それ以外に起きようがない。

 

だから「私」は、ただただリラックスして、

 

瞬間瞬間に起きてくるLIFEとともにあればいい。

 

ただ、それだけでいい。

 

 

 

なにかを忘れることでほんとうに困ることって、

 

実は、あんまり、というかほとんど、

 

というかまったく? ないし、

 

ちゃんと必要なときには思い出すということが起きてくるので……。

 

ただそれを信頼していればいいだけなんですよね。

 

 

 

楽だなあ、って。

 

LIFEとただただともにあることは、楽です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よい一日をお過ごしください◎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

浮気問題補足

昨日の

 

「恋人が浮気していたとしてもそれがどうした」

 

みたいな記事に対して、

 

「それは偉大な芸術家の妻である

 

岡本敏子さんだからこそ言えるセリフであって、

 

素人がその真似事をするのは危険すぎます!

 

浮気を笑って済ませていたら

 

良くない男文化が復活しますよ!」

 

……みたいな文意のコメントをいただきまして、

 

まあ、こういう風に取られるような書き方をした

 

私が悪いのですが(すみませんでした……)、

 

そういうことを言いたいわけじゃないんだよなあ、と。

 

今回の論点は、まったくもってそこにはないのですよね。

 

「〇〇は文化だ」と言う気はさらさらない(笑)。

 

 

 

私が言いたいのは、ただ、

 

ほんとうのほんとうのほんとうに、

 

“ここ”には「いま」しかないし、

 

“ここ”には「これ」しかないんだから、

 

「いま」以外、「これ」以外のことを考え過ぎて、

 

「いま」と「これ」をないがしろにしてしまうのは

 

ちょっと、っていうか、

 

かなり、残念なことなんじゃないかな~

 

っていうところ、

 

ただ、そこだけにあるんですよね。

 

 

 

まあ恋愛って、多かれ少なかれ

 

「ストーリー」を楽しんでいくような性格のものなので、

 

どうしたってファンタジーが加速しがちな

 

分野ではあるとは思うんですけれど、

 

でも、そのファンタジーで自分の首を絞めていちゃ

 

元も子もないというか、本末転倒というか、

 

ものすご~くつまらないことだなあ、と……。

 

まあ、苦しい思いをすることすら

 

恋愛の醍醐味だと言われてしまえば

 

「そうですか、それならご自由に」

 

と言うほかないのですが、

 

なんだろうな、

 

私個人としては、もう、

 

そういうタイプの恋愛ファンタジーとは

 

距離を置きたいな、という気分があるんです。

 

 

 

事実、相手が自分の目の前にいるのに

 

「相手が自分の目の前にいなかったとき」

 

のことを考えて苦しんでいるのって、

 

単純に、非常にもったいないし、

 

残念なことのような気がするんですよね……。

 

 

 

ほんとうに、ここには、

 

「いま」しかないし、「これ」しかない。

 

それだけで胸いっぱい、おなかいっぱい、

 

それでいいじゃない、なにか問題でも?

 

……って、割と本気で思っているんです。

 

 

 

もちろん、そうは言っても人間だもの、

 

恋愛相手の行動に不穏な影を認めたら

 

嫉妬や不安があたまをもたげてくるのは当然だと思うし、

 

それを抑えろ、なんてことを言いたいわけじゃないんです。

 

(そんなの無理だと思うしね。)

 

ケンカしたかったらすればいいし、

 

浮気の証拠を突きつけて相手を思いっきり

 

懲らしめてやりたいなら、気が済むまでやればいい。

 

「見て見ぬフリ」をすすめているわけじゃ、決してない。

 

 

 

ただ、それをやるとしても、

 

あくまでも

 

“ここ”には「いま」しかないし、

 

“ここ”には「これ」しかない

 

ということを理解した上でやらないと、

 

結局は、不要な苦しみを抱えるばかりに

 

なってしまうんじゃないかな、と……。

 

「怖れ」から行動しても、いいことないです。

 

 

 

そういうお話でした。

 

 

 

まあ、伝わりづらいお話だとは思います。

 

誤解が生じても仕方ない。

 

でも、これ、恋愛に限らず、なににおいても

 

割と「ど真ん中」のお話だとは思うので、

 

また書きたくなったら、書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よい一日をお過ごしください◎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恋人の浮気を疑ったときには

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―― ジェラシーというのはないですか。そういう事態になったとして。

 

よしもと 状況によるかな。

 

岡本 今自分がいる目の前で変なことをしなきゃいいのよ。

 

よしもと そうなんですよね。多分気にならないんじゃないかなという気がする。

 

岡本 いいじゃない。いないんだから。

 

よしもと というか、そんなことまで考えたらいろんなことを考えなきゃいけなくなる。

 

岡本 いろんなことを考えるのは結構ですけど。おかしいのよ。今そこに彼が帰ってきて抱き合えるのに、「どこへ行っていたのよ。あの人と何かしてたんでしょう」とか、そっちの方を実在にすることはないの。バカじゃないのと私は思うよ。今そこにいる二人が向き合っているほうがずっと実在なんだから、そのことを大事にすべきじゃない。ほかのことなんて、やきもち焼いている暇はないの。

 

よしもと なかなかそうは思い切れないんだわ。

 

―― やっぱりドラマとかにしつけられて、「あら、この名刺」とか「この領収書」とか。

 

よしもと 携帯の着信が……。

 

―― 今、メールで浮気チェックとかみんなしていますからね。

 

よしもと まず人の携帯を見ようって発想がないですけど、みんなするんだな。

 

岡本 知って、相手をきゅうきゅうとっちめたからどうだっていうのよ。私、本当にわからない。自分の前にいなかったときのことを、なんでそんな実在にしたがるのか。

 

よしもと でも、それは相手よりも自分の中の何かなんでしょうね。わからないけど。

 

岡本 今、自分がここにいて、彼がそこにいて、向き合っているんだからそれでいいじゃない。

 

 

 

(『恋愛について、話しました。』 岡本敏子・よしもとばなな=著 イースト・プレス=刊 より)

 

 

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昨晩、友人から

 

「もし恋人の浮気を疑ったらどうすればいい?」

 

とのLINEが入りまして。

 

「実体験か?」と問えば、

 

「いま、まさに実体験中だ」と答えるので、

 

私なりに誠実に返信を打って送ったのですが、

 

果たして友人のこころには届いたのだろうか……。

 

 

 

その返信内容をここでつまびらかにすることは避けますが、

 

まあ、冒頭で引用した岡本敏子さんと吉本ばななさんが

 

語っていらっしゃるようなことですよね。

 

「浮気を疑ったからといって別になにもしない。

 

普段通り、一緒にいる時間をただただ味わって、

 

普段通り、自分の好きなことして暮らすかな~」

 

……みたいな。

 

それが一番だと、本気で思うんですね。

 

 

 

敏子さんとばななさんの対談本は、

 

いまから10年以上前に発刊されたもので、

 

だから、私が最初に読んだのは、

 

まだ20歳かそこらのときで……。

 

衝撃でしたね(笑)。

 

とくに引用部分は衝撃でした。

 

「いや、実際無理でしょ、これ!

 

敏子さん、達観しすぎでしょ!!!」

 

と絶叫していました。

 

 

 

でも、私もいよいよ極まってきたのか(なにが?笑)、

 

ここで語られている内容の正しさ(というか真髄)が、

 

最近になって、恐らく、

 

寸分の狂いもなく理解できるようになって……。

 

 

 

だって、事実、そのお相手は、

 

いま、私と一緒にいるわけです。

 

 

 

それ以上のことは……

 

もちろん、それ以下のことも……

 

ほんとうに、ほんとうに、ほんっっっとうに!

 

どこにもないんです。

 

 

 

自分のあたまの中以外、どこにもないんです。

 

 

 

まあ、あたまの中のファンタジーとたわむれるのも

 

もちろん、楽しいことではあるのですが、

 

それはあくまでファンタジーでしかないのでね。

 

そちらにばかり、気力と体力を費やしてしまってもね……。

 

 

 

実際にいま、好きな人と一緒に時間を過ごしている。

 

……以上!

 

 

 

ほんとうに、それだけでいいんですよね。

 

……と思うんですよね。

 

 

 

ほんとうに、「いま」しかないし、「これ」しかないんですよ。

 

「いま」以上、もしくは以下、

 

「これ」以上、もしくは以下のことなんか、

 

まあ、考えたかったら考えてもいいけれど、

 

別に、まったく考えずに生きていくこともできるんだよな~、と。

 

 

 

そのことをあたまの片隅にでも置いておけば、

 

恋愛に限らず、ありとあらゆる場面で発生する

 

「どうしようもない苦しみ」は、

 

少しずつ、姿を消していくんじゃないかなあ。

 

 

 

参考になればうれしいけれど、

 

ならないかな~(笑)。

 

 

 

まあ、私の考えはともかくとして、

 

敏子さんとばななさんの対談は、一読の価値ありです。

 

オススメですよ~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よい一日をお過ごしください◎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「出る」とケンカしないこと

体調不良はおかげさまでおさまってきました。

 

ご心配おかけいたしました。

 

 

 

ちょっと前に、このブログでも、

 

「人生いつでも出たとこ勝負」

 

みたいなことを書きましたが、

 

(あらためて見るとすごい発言だ。笑)

 

病気というか、症状に関しても

 

私はこのスタンスを崩さない人間だな~

 

っていうことを、

 

今回の件で再確認しましたね。

 

 

 

「出たとこ勝負」というか、

 

「出るならどうぞ」という感じかな。

 

そこに抵抗がない。

 

 

 

症状が出るって、ごくごく自然なことだと思うんです。

 

熱にしろ、痛みにしろ、

 

かゆみにしろ、できものにしろ、

 

ぜんぶ自然からの要求というか

 

必然性があってそのようにあらわれてきているわけで。

 

それならば、せっかく出てきている症状を

 

薬やなにかで抑えつけてしまうよりは、

 

「どうぞどうぞ~ ぜんぶ出ちゃって~」

 

ってやってしまって、

 

出切ったら「はい、おしまい!」

 

っていうのの方が理に適っている、

 

つまり無理がないんじゃないかな~、と。

 

(もちろん、急を要する場合はこの限りではありません!)

 

 

 

ということで、

 

昨日は朝のうちに仕事をひとつ片付けて、

 

そのあと、なんと5時間以上半身浴していました。

 

半身浴で頭寒足熱の状態を作ると

 

「出る」がスムーズになるので。

 

 

 

昨日の私の主な症状としては、

 

微熱、喉の痛み、背中の痛みなどだったのですが、

 

半身浴はじめてすぐに

 

尋常じゃないほどの量の汗が出てきて、

 

(当社比 いつもの半身浴中の発汗量の3倍ほど……)

 

一時的に症状がものすごく強く出て、

 

不快感や不安感がもやもやと出て来て、

 

でもそれも一瞬で過ぎ去って、

 

そのあとからだがゆるんだようになって

 

湯船の中でなにもせず「ほへ~」としていたら

 

あっという間に5時間経っていて、

 

お風呂から上がったときには、あら不思議、

 

症状がかなりの段階までおさまっていたのでした。

 

 

 

ついでに言うと、お風呂から上がったときには

 

台風も去っていました(笑)

 

同期していたのか……?

 

 

 

「出る」ってすごい。

 

 

 

やっぱり、

 

「出る」を押さえないことって大事だな~、と。

 

いや、「押さえない」っていうか、

 

「出る」ことと「ケンカしない」っていう方が正確かな。

 

 

 

「出る」が起こったときに

 

「だめだめ! 出ちゃだめ!」というスタンスでいるのと、

 

「出るならどうぞ~」というスタンスでいるのと、

 

どっちが結果的には楽かな? って。

 

 

 

前者は「敵を作る」やり方ですよね。

 

一方後者は「敵を作らない」というか、

 

そもそも「敵という概念がない」というあり方です。

 

 

 

私個人は、後者のスタンスで生きている方が楽なんです。

 

楽なのが、好きです。

 

 

 

今回はからだのことでそれを実感しましたけれど、

 

きっとなんでもそうですよね。

 

 

 

思考でも、感情でも、行動でも、

 

ごくごく自然にふわっとあらわれ出てきたものを

 

ただそのままの大きさで認めてあげる。

 

出たら、それで終わり。

 

以上!

 

 

 

これ、ほんとうに、楽だなあ、って。

 

 

 

いつだって「そのようにあらわれ出たもの」と

 

仲良く……とまではいかなくても、

 

せめて、あんまりケンカをせずに

 

「ほへ~」っとリラックスして生きていきたいな~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よい一日をお過ごしください◎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前のその人を愛するように

私は木皿泉さんの書くドラマがほんとうに好きなのですが、

 

なかでも折に触れて思い出すセリフがコレです。

 

 

 

「Q10(キュート)を愛したように 世界を愛せよ」

 

(日本テレビ系ドラマ 『Q10』より)

 

 

 

もうこのブログでも何回取り上げたかわからないですね。

 

とにかく、このセリフはすごいです……。

 

 

 

Q10っていうのは、女子高校生型アンドロイドです。

 

主人公はQ10に恋をしてしまう男子高校生。

 

さきほどのセリフは、最終回に出てきます。

 

 

 

誰かやなにかを愛おしく思うっていうのは

 

たいへんなことだと思うんです。

 

 

 

だって「好き」なんて気持ちは、

 

自分ひとりだけでは、ぜったいに持ちようがないから。

 

 

 

……かと言って、自分と対象だけが存在していても、

 

そこに「愛する」ということは成り立たない。

 

 

 

自分と対象をもひっくるめたすべてが、

 

つまりは世界が、1ミリの狂いもなく

 

「このように」存在しているからこそ、

 

相手を愛おしく思う、ということが成り立っているわけで……。

 

 

 

誰かやなにかを愛することは、

 

そのまま、

 

世界を愛することなんだなあ、って。

 

 

 

いま、なにかが思い通りにならなくて、

 

ものすごくつまらない思いを抱えているとしても、

 

ほんの少しでも「好ましい」と感じる対象が

 

ひとり、あるいはひとつだけでも

 

この世に存在しているのなら、

 

世界がいつだって完全完璧にととのっていることを、

 

ちょっぴり、信じられたりしませんか?

 

 

 

「〇〇を愛したように 世界を愛せよ」

 

 

 

はい、愛しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

台風が近づいてきているようですね。

 

私は、少し体調を崩しています。

 

 

 

よい一日をお過ごしください◎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

©Yoko Koide