どこにもない。けれど、すべてとして満ち満ちている。

ひとつ前の思考

 

ひとつ前の感情

 

ひとつ前の感覚

 

 

 

ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ、

 

いまここには、すでにない。

 

 

 

あるように感じられるのなら、それは、

 

ひとつ前の思考を思い出すということが

 

いま起こっているだけ。

 

ひとつ前の感情を思い出すということが

 

いま起こっているだけ。

 

ひとつ前の感覚を思い出すということが

 

いま起こっているだけ。

 

 

 

ただそれだけで、

 

ひとつ前の思考や感情や感覚なんて、

 

ほんとうは、もう、どこにも存在していない。

 

 

 

ぜんぶ、瞬間ごとにあらわれては、

 

瞬間ごとに消えていっている。

 

 

 

「いま」しかないし、「これ」しかない。

 

 

 

もっと言えば、

 

「いま」すらないし、「これ」すらない。

 

 

 

「いま」と言った瞬間に「いま」は消えているし、

 

「これ」と言った瞬間に「これ」は消えている。

 

 

 

どこにもない。

 

けれど、すべてとして満ち満ちている。

 

 

 

不思議です。

 

ほんとうにほんとうにほんとうに不思議なことが

 

「いま」起きていて、起きていない……

 

 

 

不思議で、わからなくて、ただ、感動。

 

 

 

感動だけがあるなあ……。

 

 

 

南無阿弥陀仏

 

 

 

 

 

 

 

 

よい一日をお過ごしください◎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こけしだろうが、まる子だろうが

私は、一部界隈(笑)で

 

「こけし」と呼ばれておりまして、

 

これはひとえに、自分自身の

 

シンプルな顔のつくりのせいなんですけれど、

 

(あと髪型???)

 

本人としては、

 

その呼び名にまったく特別な感懐は抱いておらず、

 

「呼びたければお好きにどうぞ~」と思っています。

 

 

 

なんでもいいんですよ。

 

「こけし」だろうが、「まる子」だろうが(笑)。

 

気にしていません。

 

 

 

あと、私は普段、

 

「小出遥子」の名前で活動していますが、

 

戸籍上は違う苗字です。

 

小出は旧姓なんです。

 

でも、これも特別な意味があるわけではなくて。

 

ただ、なんとなく「小出」のままで活動しているだけです。

 

 

 

どちらでもいいんですよ。

 

「小出」だろうが、現在の苗字だろうが。

 

こだわりはありません。

 

 

 

呼び名は、呼び名でしかないですからね。

 

ラベルに過ぎないというか。

 

 

 

どんなラベルが貼りつけられたところで、

 

あるいはなんのラベルも貼られないところで、

 

本質になにか変化があるわけでもない。

 

 

 

こけしだろうが、まる子だろうが、

 

小出だろうが、なんだろうが、

 

「わたし」は、

 

「わたし」であって、

 

「わたし」ですらない。

 

 

 

なので、どうぞ、お好きなように。

 

 

 

強がりじゃないよ~(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9月がはじまりましたね。

 

よい一日をお過ごしください◎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

風立ちぬ

台風が近づいているということですが、

 

私が住んでいる地域(限りなく埼玉に近い東京)では、

 

まだそれほど雨も風も強くありません。

 

これから荒れるのかな……。

 

 

 

風と言えば。

 

私は幼い頃から疑問に思っていたんです。

 

 

 

風って、いったいどこから吹いてきて、

 

どこへと去っていくんだろう? って。

 

 

 

私の中では、

 

風って、こう、龍みたいな、

 

大きくて細長い生き物のようなもので。

 

それが、

 

「ひゅう!」でも、「びゅう!」でも、「ごう!」でも……

 

まあ、なんでもいいけれど、

 

そんな感じの音を立てながら

 

私の横を通り過ぎていくっていう……

 

そういうイメージだったんです。

 

 

 

つまり、風っていうのは、

 

彼方からやってきて

 

彼方へと去っていくものだ、と。

 

無意識のうちにそう思い込んでいたのですが……。

 

 

 

でも、昨日の夜、

 

あるアーティストのCDを

 

なんの気なしに聴いているときに、

 

「風立ちぬ」ということばが

 

ふいに、ストン! と入ってきて。

 

 

 

ああ、そうか。

 

風って「立つ」ものだったじゃん、って。

 

 

 

どこからともなくやってきて、

 

どこへともなく去っていくもの

 

……なんかじゃなくて、

 

いまここで立ちあらわれるものじゃん、って。

 

 

 

風というものが独立して存在していて、

 

それを私という独立した存在が感じている

 

……というわけではなくて、

 

いまここの一回きりの出会いによって、

 

一回きりのリアリティーをもって、

 

どうしようもなく立ちあらわれてくるものに、

 

仮に名前をつけたものが「風」なのだろうな、と……。

 

 

 

あはは。

 

いつも通り、なに言っているかわかんないですよね(笑)

 

私も、よくわかりません。

 

 

 

でも、なんかね、

 

そういうことだったのか……って

 

しみじみ思ったんですよね。

 

 

 

風だけじゃない。

 

いまここにあるすべて、

 

そういう風にして

 

一回きりのかけがえのないものとして

 

立ちあらわれているんだな、って。

 

 

 

無条件で「世界」が愛おしくなるような……

 

そんな感じがあります。

 

 

 

これ以上に豊かな場所を、

 

私は、知らない。

 

 

 

……なんてことを、

 

台風接近中の関東にて思っています(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よい一日をお過ごしください◎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

物語は続くよ、どこまでも……

思考も、感情も、感覚も……

 

ぜんぶ、

 

どこからともなくあらわれては

 

どこへともなく消え去っていくまぼろしです。

 

ただの物語(読みはストーリーorフィクション)です。

 

 

 

……みたいな書き方をすると、

 

まるで物語を否定しているかのように

 

思われてしまいがちなのですが、

 

そんなつもりはまったくないんです。

 

 

 

だって、人間として生きている限り、

 

物語から完全にフリーになることは不可能だから。

 

 

 

そもそも「人間」ということば自体が物語だし、

 

「生きる」というのだって、壮大な物語なんです。

 

 

 

そこを否定したところでどうしようもないというか、

 

そうしたところで、

 

どうしようもなく、物語は続いていくので。

 

物語の生成を止めることはできないので。

 

 

 

ただ、

 

それを物語だと気づいているかそうでないかは、

 

やっぱり、大きな違いになるよなあ~

 

とは思うんです。

 

 

 

夢の中で「これは夢だ」と気づいてしまえば、

 

そのあとの物語の展開を、

 

どこか余裕をもって眺めていられるように。

 

 

 

まあ、「物語だ」「夢だ」と気づくのは

 

この「自分」ではないんですけれどね。

 

 

 

自分が「これは物語だ!」と気づくのではなく、

 

全体が、「自分という名の夢物語」に気づくというか……。

 

そこに「夢物語」に気づく個人はいないのですよね。

 

 

 

あはは。難しくなって参りました(笑)

 

 

 

でも、大事なところですね。

 

なので、また近々、

 

このあたりつっこんで書こうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よい一日をお過ごしください◎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うれしい」を、そのままの大きさで、混じりっ気なしに。

ひとつひとつの「うれしい」を、

 

そのままの大きさで、

 

まるごと味わうことができるというのは、

 

ほんとうにしあわせなことだなあ……

 

なんてことを思います。

 

 

 

昨日の夕方、小雨の降る中、夫と二人、

 

近くのちょっと大きな街で買い物をしたんです。

 

ほんとうにちょっとした買い物です。

 

ものすごく面白そうな本一冊と、

 

大好きなアーティストのCD一枚。

 

それだけです。

 

 

 

そのあと、私たちはインドカレー屋さんに行きました。

 

そしてとてもおいしい夕食をいただきました。

 

 

 

先日も書きましたが、

 

ここ最近の私は大変忘れっぽいというか、

 

まあ、無理やりいい感じ(?)に言えば

 

ほとんど「いまここ仕様」の脳みそで(笑)

 

生きてしまっているので、

 

なにかを食べているときは、

 

食べることに完全に夢中になってしまうんですね。

 

 

 

で、そのカレーがまたおいしくて!

 

アホみたいに「おいしい」を連呼しながら、

 

さきほどの買い物のことなんか忘れて、

 

ひたすらに食べることに夢中になっていたのですが……

 

 

 

そんなとき、

 

ふっと自分のカバンに目をやったら、

 

さきほどの文庫本とCDが

 

ちらっと姿をのぞかせていて。

 

 

 

その瞬間、「あっ」と思ったんです。

 

 

 

なぜなら、そこに生じたよろこびが、

 

ほんとうに「そのままの大きさ」だったから。

 

 

 

単純に、純粋に、

 

「面白そうな本」と

 

「好きなアーティストのCD」が

 

いまここにおいて、

 

自分のかばんの上部からその姿をのぞかせている……

 

その事実を、

 

ただそのままに「うれしい」と思った。

 

混じりっ気なしに、「うれしい」と思った。

 

 

 

それがね、

 

ものすごくありがたくて……

 

しあわせだったんです。

 

 

 

どうしようもない寂しさや

 

物足りなさを埋めてくれるものたちとして、

 

つまり、マイナスを埋めてくれるものたちとして

 

それらの本やCDを見つめるのではなく、

 

ただそれらがいまここにあること、

 

その存在をそのまま祝福しているというか、

 

祝福するまでもなく、すでに祝福されているというか……

 

まあ「祝福」なんていうと大げさですが、

 

なんだろうな……

 

うれしかったんですよね。

 

単純に。純粋に。

 

それらがいまここにあることが。

 

過去も未来もなく、

 

それ以上でも以下でもなく、

 

ただ、うれしかった。

 

うれしかったんです。

 

 

 

本やCDだけじゃない。

 

そのとき、お店の中にあるもの、

 

いや、視界にあるものすべてが、

 

完全に、完璧に、

 

そのままの大きさで祝福されていて……。

 

 

 

しあわせは、いつ何時だって

 

間違いなく「ここ」にある――

 

 

 

そう思ったんです。

 

 

 

……って、意味わかりませんよね(笑)。

 

 

 

読み返して、自分で自分に

 

「わけわかんないよ!」とつっこんでいます……。

 

でも、まあ、このまま載せてしまおう……。

 

 

 

なにか感じ取っていただけるとうれしいな~

 

(丸投げ!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よい一日をお過ごしください◎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

©Yoko Koide