小出遥子の誓願

このブログを本格的に始めて、今日でちょうど2週間になる。

 

まだ2週間……だけど毎朝の更新はもはや完全に私の日常に溶け込んでしまった。そして、この2週間で、すでに信じられないほどたくさんの方とのご縁をいただいて、私自身、本当に驚いている。ありがたすぎて、全力で涙を流す日々だ。ここを訪れてくださった皆様、そしてそのきっかけを作ってくださった皆様全員に、本気で両手を合わせます。本当にありがとうございます。

 

 

 

このブログを開始するにあたって、私は、阿弥陀の誓願ならぬ、小出遥子の誓願を打ち立てたのだった。

 

その1.毎日更新すること

その2.自分の中から出てきたことしか書かないこと

その3.私の「いま」をそのまま書くこと

 

これは私個人のサイトなので、とにかく、私という人間のことを書こう、と思ったのだった。私という人間が、いま、なにを感じて、なにを考えて、どう生きているのか。それを包み隠さず書いてやろう、と。

 

実名でやっているし、写真も(後ろ向きだけど……ハフポでは顔写真付でやっています)出しているし、「もういいんです。逃げも隠れもしませんよ!」という感じ。

 

あまりにも毎回(くくりとしては)スピリチュアルなことばっかり書いているので、「リアル知人たちはこのブログをどう読むのだろうか……」と心配になることもある。

「これ口に出したらヤバイやつ扱いされて終わりだよな~」と、いままでずっとこらえて現実世界では言わずにいたようなことを、ここでは遠慮なくぶちまけているからだ。

 

でも、もういいのだ。もう気にしないことにしたのだ。だってこれは「小出遥子」のサイトなのだから。

「私はいま、こんなことを感じて、考えて、こんな風に生きています。」

それを書かないでどうするのだ。

 

書きたいことを書くし、話したいことを話す。そうして生きていきたい。表面だけ取り繕って誰に対してもへらへらといい顔をして無理やりに「みんな」と仲の良いフリをするようなことはもうしない。

(以前の私はそういうことがものすごく「得意」だった。表面上「人気者」になることはカンタンなのだ。でも「みんな」って誰だ? そんな実体のないものと「仲良く」することなど、そもそも可能なのだろうか。)

だってそんなの面白くないから。ぜんぜん面白くないから。生きている感じがしないから。

 

私の中身を全部ぶちまけて、それを面白がって受けいれてくれる人たちと、大切に関係を築いていく。

そっちの方が楽しいから。だんぜん、楽しいから。生きている感じが味わえるから。

 

それでいいのだ。

それが私のやりたいことなのだ。

 

このような場を与えていただいたことに、心の底から感謝しています。

 

 

 

 

はじめまして。小出遥子と申します。

これが、私という人間の「いま」です。

これからどう変わるかわかりません。でも、「いま」の私は、こんなです。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

願いごとの叶え方 ―人事を尽くして天命を待つ―

先日、大学時代の友人たちと集まって飲んでいたのだが、そのうちの一人がグラスを傾けながら声も高らかに宣言した。

 

「私、絶対に、今年中に、両家顔合わせまで持っていくから!」

 

ちなみに彼女、いま現在、実際に、将来を誓った恋人がいるわけではない。というか恋人自体がいない。恋人候補と出会っているわけでもない。すべては「これから」のお話である。彼女は続ける。

 

「そのためにね、私いま、合コン行きまくってるの! 6月はすでに4回予定入れてるんだ! 東京大神宮に参拝している暇があったら、ひとつでも多く合コン行かなきゃ!」

 

ぎゃはは、必死だな~! がんばれがんばれ~、とはやし立てながら、しかし、私は彼女の様子を見ていて思ったのだった。こりゃあぜったいに大丈夫だわ、この子なら現実にするわ、リアルに両家顔合わせまで持って行っちゃうわ、と。

 

だって彼女にはまったく悲壮な様子が感じられないのだ。それどころか、彼女は、めちゃめちゃ明るいオーラを放っていたのだ。そして、決定打は次の一言。

 

「別に合コンで彼氏ができるなんてこれっぽっちも思ってないよ! でもさ、できる限りのことやっとかなきゃさ、自分が納得しないじゃん! 自分が納得して、もういいやってなったときに、はじめて相手が現れるような気がするんだよね~。」

 

その言葉を聞いた瞬間、私の脳裏に、純白のドレスに身を包んだ彼女の姿が、めちゃめちゃリアルに思い浮かんだのだった。ああ、もう、こりゃ確定だわ……! この子、すごいわ……! 夢、叶えるわ……! そう思った。私のこういう勘は、ものすごく良く当たるのだ。

 

「絶対叶うよ!」

身を乗り出してそう伝えると、彼女は返した。

「私もそう思うの!」

彼女の笑顔は、すでにその夢を叶えた人のそれのように、キラキラと眩しく光り輝いていた。彼女の背後に気高く美しいバラの花々が見えた。

 

と同時に、願望実現の法則が見えた気がした。

 

 

 

よく、ソッチ系の本(ええ、もちろん、大好きです……)などに、「願いは忘れた頃に叶うものです!」とか「願望実現のヒケツは、その願いを手放してしまうこと!」とかいったようなことが書いてあるが、そう簡単に願いを忘れたり手放したりすることができるなら苦労はしないのである。どーーーしても叶えたいことは、どーーーしたって叶えたいことなのであり、その願いを忘れることなんて、無理無理無理無理! なのである。片時だって忘れることなんかできっこないのである。

 

……が、冷静になって思い返してみたら、なるほど、私自身、大きな夢が叶うのは、願っていること自体を忘れかけていたようなときが多かったような気がする。「やり切った~」という気分になっているとき、というべきか。「やり切ったから、もうそれだけで楽しかったから、結果はもうどうでもいいや~あはは」といいう気分になってはじめて、大きな夢は自分のもとにやってきてくれた。そう、「結果」を手放したときに、夢は叶ってきたのだ。昔っから良く言われる「人事を尽くして天命を待つ」って、こういう意味のことなんじゃないだろうか。

 

「願い」を手放す、などと表現するから、「はあ? そんなん無理に決まってんじゃん! わけわかんないこと言わないでよねっ!」となるのであって、「結果」を手放す、とすれば対処法は見えてくる。単純に、「やり切」れば良いのである。やってやってやって、やっている「いま」しか見えなくなったら、その瞬間、かちかちに力んでいた心と身体が一気にゆるむ。「結果」(未来)を手放すまい、と、ぎゅっと握っていた手のひらがふわっと開かれる。そこではじめて、手のひらの上に載せられるのが、「結果」と呼ばれるものなのだ。自分自身の経験を振り返っても、これはどうやら真実であるらしい。

 

手放さなきゃ入ってこない。だけど、手放すためには、一度「やり切る」ことをしなくてはならない。じたばたすることも必要なのだ。あがくことも大事なのだ。その「苦しい」「悔しい」「悲しい」過程をもひっくるめて、やり切っている「いま」が、心の底から「楽しい!」と思えたら、その瞬間に勝利はやってくる。こうやって夢は叶うのだ。「楽しさ」はいつだって「いま」にあり、夢もいつだって「いま」にあって、そしてそれはいつだって「いま」叶うものなのだから。

 

「いま」に徹すること。

これが夢を叶える唯一の道なのだ。

 

 

 

……ってこんな記事書いちゃったんだから、彼女にはぜったいに「今年中に両家顔合わせ」までいってもらわなきゃ困るのだ! Mちゃんよ。合コンとかいろいろ、やってやってやってやり切ってね~。そうして純白のドレス姿、来年にはこの目で拝ませてね~!

 

観音三十三応現身

さんじゅうさん‐じん 〔サンジフサン‐〕 【三十三身】

 

観世音が衆生を救うため、場合に応じて変化する33の姿。法華経普門品(ふもんぼん)に基づく。仏・辟支仏(びゃくしぶつ)・声聞(しょうもん)・梵王・帝釈(たいしゃく)・自在天・大自在天・天大将軍・毘沙門・小王・長者・居士(こじ)・宰官・婆羅門・比丘(びく)・比丘尼・優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)・長者婦女・居士婦女・宰官婦女・婆羅門婦女・童男・童女・天・竜・夜叉(やしゃ)・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩羅迦(まごらか)・執金剛。

(デジタル大辞泉より)

 

 

 

奈良県は桜井市の長谷寺というお寺に、巨大で美しい観音さまがいらっしゃる。私はそのお方が大好きなのだが(大好きな仏だらけですね、私……)その方のお立ちになっている場所の周りの壁には、三十三の、人間のような、動物のような、怪物のような……そんなよくわからないものたちが描かれている。それらはすべて、その美しい観音さまの化身であるらしい。その話を最初に聞いたとき、私は、正直、「げげー、まじかよー……」なんて思ってしまった。だってさっきも書いたみたいに、その三十三人(というべきか……)の中には、明らかに「ばけもの」も混ざっているのだ。お慈悲に溢れたやさしい観音さまのお姿と、鬼の形相をしたおどろおどろしいそれらの本体が一緒だなんて、にわかには信じられなかった。というか信じたくなかった。でも、あるとき、ふと思ったのだ。「ああ、あの三十三人が全員観音さまっていうのは本当のことだ。だって、あの人さえも、私の観音さまだったのだから……」と。

 

「あの人」っていうのは、私が新卒で入って1年と2か月で逃げ出した、とある編集プロダクションの先輩だった。Kさんという、当時アラサーの、化粧の濃い、ヘビースモーカーで、コーヒー中毒で、めちゃめちゃ香水臭い、肌の荒れた女性。でも、綺麗な人だった。そして仕事のできる人だった。私はその人にかなりイジメられたのだった。まあいま思えば私が仕事というものをありとあらゆる意味でなめきっていたからイジメられていたわけだが(というか本気でムカつかれていたのだと思う……)当時は自分が仕事をなめているだなんて、本人はまーーーったく気づいていなくて(アホですね)、なんでこんな仕打ちを受けなきゃいけないのか、全然わかんなかった。わかんなくて、反省もせずに、ただただしがみついて、それがまたKさんの疳に触って、さらに激しくイジメられて……悪循環につぐ悪循環。まあそれにしたってKさんはヒドかったとは思いますけどね。パワハラで訴えたら確実に勝てるでしょうね! 面倒だからしないけどね!

 

仕打ちの具体例を挙げましょうか……。

 

【そのいち】私が徹夜で描いたページのラフ案を持っていく。→Kさんはそれを、まったく、一切、ひと目だって見ることもせずにぐっちゃぐちゃに丸めてポーンと後ろに投げる。→私、ショックで鼻血を噴き出す……。

 

こんなことは日常茶飯事。私が辞める2か月前には下記のようなことも。

 

【そのに】Kさんご出勤。自分の席につく前に私の背後に立つ。私、びくびくしながら挨拶をする。「お、おはようございます……」→Kさんは挨拶を返すこともせず、いや、挨拶代わりに(?)こんなことを言う。「あなたは一体いつ辞めるのかしら?」→私、ショックで鼻血を噴き出す……。

 

……ああ、思い出すだけで鼻血が噴き出して止まらなくなりそうだ。実際、当時、本当に鼻血が止まらなくて(完全にストレス病です)、いつだってティッシュで鼻を抑えながら仕事をしていた。ラフやゲラはいつだって血だらけだった。いつだって貧血気味でふらふらしていた。いつだって頭がぼうっとしていた。いま思えば、体が逃げているんだから無理なんかすることなかったのだが、意地になってやり続けていたのだ。なんで意地になっていたんだろう。そもそもその仕事は明らかに私に向いていなかったのに。だって、編集っていうのは、頭の回転が早くて、複数の仕事を同時に進められて、それでいてコミュニケーション能力の塊で、意志が強くて、とっさの判断力にも優れていて、ハートは熱いのにいつだって冷静で……っていう、全方位的な人間に向いている仕事なのだ。私とまるで真逆じゃないですか……。いや、どんな仕事だって、ちゃんと覚悟を持って腰を据えて取り組めば、ある程度はできるようになるとは思いますよ。でもね、やっぱり、適性ってもんはあると思うのですよ。私には、悲しいことに、その適性がなかったのだ。もう本当に笑っちゃうぐらい、「まるで」なかったのだ。当時これっぽちもそれに気づけなかったのが、本当に悲しいことなのだけれど。妙な意地と無駄なプライドが、私の目を曇らせていたのだった。

 

止まらない鼻血に加え、大学生の頃にやった十二指腸潰瘍をぶり返して三日間寝込んで動けなくなった時、ようやく仕事から離れる(というか逃げる)決意ができたわけだが、次になにをして生きていくべきか、その頃の私にはまったく見えていなかった。また編集をやるのは、怖かった。本は大好きだったし、これからも何らかの形で関わっていきたいとは思っていた。でも、もうあんな思いはしたくなかった。というか「編集」という言葉を聞くだけで鼻血が出てみぞおちの奥が痛むような体で、できるわけがなかった。

 

あーーー、私、これからどうしよう……と思いながらふらふらふらふらしていたある日のこと。元同期の子から「小出さんが作った本、増刷かかったって!」との連絡が入った。私は編プロ時代に、5冊ほど本を作ったのだが、そのうちの1冊だった。その1冊というのが、ほとんどライターさんを立てずに、自分で原稿を書いたものだったのだ。そこで思い出した。「Kさんは基本的に私の仕事を全部けなしていたけど、文章に関してだけは何も言わなかったな……。」そう、文章に関してだけは、Kさんは、私をけなさなかったのだ。いや、褒めもしなかったのだが、少なくともけなしはしなかった。「Kさんに認められていたのって、文章のことだけなんだな……。」

 

……。

……。

……。

 

「文章、書いてみようかな……。」

 

光が、見えた気がした。

 

そこから私が本格的に文章を書き始めるまでには、まだしばらくの時間が必要だったのだが(意気地がなかったのだ)、それでも、いま、私は、3時起きが苦にならないほどに文章の世界に没頭している。本当に未熟だけれど、自分の書いたものに嫌気が差すこともあるけれど、それでも書くことは楽しい。苦しいけれど、楽しい。そう、楽しい。楽しいのだ。

 

腰を据えて文章というものと向き合い始めて数か月が経った頃だった。いつものように早起きをして、朝日が差し込む部屋の中で、ひとり黙々とPCに向かっているとき。私は、ふいに、とてつもない幸福感に包まれたのだった。自分がいま、思う存分に好きなことをやらせていただいていること。文章の世界を、選ばせてもらったこと。そこで楽しくも、自分なりにきちんと責任感をもって、遊ばせていただいていること--

 

ああ、そうか。これってぜんぶ、Kさんのおかげなんだ――

 

Kさんの顔を、はじめて、憎しみを伴わずに思い返すことができた瞬間、私は、思わず、両手を合わせてつぶやきたくなった。

 

Kさん。ありがとう。あなたのおかげで、私は、いま、書くしあわせを味わっています。すべては、あなたのおかげです。ありがとうございます――

 

それは祝福の瞬間だった。

 

鼻血を出しながらページを作っていたときには、Kさんは鬼にしか見えなかった。ばけものでしかないと思っていた。でも、いまなら言える。

Kさんは、私の観音さまだったんだと。

 

おめでたい考え方だと笑われるかもしれない。それでも言う。

 

「出会う人、みんなが仏さまって、本当だよ。」

 

三十三は、イコール、無限。この世に存在する人はすべて、きっと、ひとり残らず、仏さまの化身なのだ。

 

そして、出会う人を仏さまにするのは、いまの自分しかいないのだ。いまの自分が生を謳歌してはじめて、出会った人すべてを仏さまにできるのだ。

 

 

 

 

南無観世音菩薩。

朝3時起きで人生が変わる!part.2

昨日の記事の続きです。

 

 

 

冷えとり健康法を始めて体調が整って、さらに早起きが楽になった。それで調子に乗って、それまでの5時起き生活から4時起き生活へのシフトチェンジを図った。書きたいものの分量が増えたということもあるが、私は冷えとりと並行して瞑想や白湯飲み健康法も始めたので、それらを朝にまとめてやろうとすると結構な時間になってしまうのだ。でも白湯を飲んだり瞑想をしたりしてからの方が原稿を書くのが早くなるしスッキリした文になるので(単純に頭がスッキリするのだろう。あ、こんなんですが、自分的にはスッキリした文を書いているつもりなんですよ! いつも長いけど! 長くてすみません!)、絶対に欠かせない。精神統一という意味でもそれらの「儀式」は重要だ。なのでそれらの時間を確保するためにも、いままでよりも早く起きることにしたのだ。5時起きから4時起きへの移行は呆気ないほどすんなり進んだ。すでに体が完全なる朝型に変化していたのだろう。で、いま現在の話だが。「毎日、一日も欠かさずにブログを更新する!」という阿弥陀の誓願ならぬ小出の誓願を立てた私は、いままでのものに加えてブログ記事を書く時間をきっちり確保するために3時起き生活を始めた。が、これがまったく苦にならない。一日のうち、自分が一番やりたいことを早朝の時間に持ってくると、目が覚めた瞬間から、おのずと体は活動モードになるらしい。

 

起床時間を1時間早めるにつれ、就寝時間を1時間早めて調整した。4時間半とか5時間とか7時間とかいろいろ試したけど、やはり私には6時間睡眠が合っているようなので、そこは絶対に確保したくて。つまり現在は21時就寝生活を送っているわけだが、これもだらだらしてる時間を詰めれば全然余裕です。18時半過ぎに帰宅して、30分でご飯を作って、30分で食べて(少しでも消化が楽になるように、よーく噛んで食べます)、本読みながら30分ぐらい半身浴して、髪乾かして、歯磨いて、湯たんぽ入れて、布団の中でちょっと本読んで……ちょっと眠くなってきたときには21時。電気を消してお休みなさーい。ほら、余裕☆ ……でもこれ、私が現在独身だからできることですよね。家族がいらっしゃる方だと、自分一人の都合だけでは動けないですものね……。すみません。

 

6時間の睡眠時間はフルに睡眠にあてたいので、布団に入ったら余計な考えごとはしません! とは言え「こころにうかびくるよしなしごと」にどうしたって捉われてしまうときは、仰向けになって、おへそのちょっと下、丹田と言われているあたりに手を置いて、ゆっくり呼吸をして気分を落ち着かせている。ポイントは「吐く」ことだけを意識すること。ゆっくりゆっくり吐いて吐いて吐いて……吐ききったところで自然に空気が入ってくる。これを繰り返していると、丹田がぽかぽかしてきて、頭の中から嫌なことが消えていき、割とぐっすり眠れるようになるのでオススメです。あと、着信音で睡眠が妨害されるのが嫌なので(友人・知人の皆さまごめんなさい)寝る前に携帯電話の電源をオフにしている。で、朝にオン。夜中に入ったメールはその時にチェック。そのまま返信すると相手は8割方「何時まで起きてんの!? 早く寝なよ!」といった反応を返してきますが、違うんです、いま起きたんです……。目覚まし時計はベッドサイドから離れたところに置いています。布団から出て数歩いかなきゃ届かないようなところに置いて、それで起き抜けの体に強制的に運動を……。早起きには良いけれど、体への負担は……どうなんだろう……。

 

なんだかとりとめもなくなってしまった……。ごめんなさい。自己啓発本のメソッドに則って、このあたりで少しまとめてみます。上で触れなかったようなものも何点か混じっていますが……。

 

 

 

【早起きのコツ10か条】(←エラそうですね~! 嫌になっちゃいますね~!)

 

1.早起きの目的を持つ

(「書く!」とか「勉強!」とか「ジョギング!」とか)

 

2.目が覚めたらその瞬間に布団から離れる

(くっついてると離れられなくなります……。目覚まし時計を遠くに置いておくのがオススメです)

 

3.窓を開けて冷たい空気を室内に入れる

(肌寒さを感じさせることで交感神経をオン!)

 

4.起き抜けのルーティン儀式を設定する

(白湯飲み、足湯の準備、瞑想など。なにも考えずに体を動かせるものが良いです。これらをしているうちに目が覚めます)

 

5.朝食は……食べません

(食べると眠くなるからです。私の場合は食べない方が力が出るし、頭も働きます。人それぞれだと思いますが。ちなみに、ST●P細胞は……あります。あって欲しいと思ってます……)

 

6.昼食後に15分程度の仮眠を取る

(早起きするとその分昼食後にガクッときますので。ちなみに、繰り返しになりますが、私は昼も食べません……)

 

7.夕食を食べ過ぎない

(食べ過ぎると寝付きが悪くなるので。あと、肉とか油ものとかを食べても同様の現象が……。精進料理的なメニューをしみじみと食べています)

 

8.飲まない

(平日は約束がない限り飲酒はしません!)

 

9.夜はPCを開かない

(脳みそが興奮してしまいます……ネットは朝の短時間だけ)

 

10.寝る前に携帯電話の電源を落とす

(キッチリ眠らせていただきます!)

 

 

 

……こんなもんかなー。最後に早起きして良かったことをまとめておきましょうか。

 

朝の1時間は日中の3時間に匹敵する、とかよく聞くけど、これ、ある程度本当のことだと思います。集中力が全然違うので。日中何時間もかけて書くような分量の文章が、1時間できっちり書き上がったりするので「魔法……?」って思います。空気も綺麗だし、単純に静かだしね。鳥のさえずりしか聞こえない中でやりたいことに思う存分に取り組めるって幸せだなーと思います。

 

あと、いま私ナチュラルに「幸せだなー」とか言いましたけど、これも早起きの効果かもしれません。なんというか、多幸感が増して、「健やかな人」になるのです……。いいか悪いかは個人の判断だとは思いますが、まあ楽になったことは確かです。前は毒舌家で有名な人間でした、私。いまでも若干……まあいいや、あはは。セロトニンが……とか専門的なことはよく分からないけれど、朝日の中で活動するのは(そして日が落ちたらさっさと眠るのは)人間の生理に適っているのだろうな、と感じます。

 

あとは、早起きして好きなことやってると、自分の人生の舵を自分で握ってる感じがしてとても良いです。前は、なんだかすべてにおいてやらされてる感が強かったんですが、そしてなぜかいつも時間に追い立てられていたのですが(とは言え、主にやっていたことはビールを飲むだけってのが情けないのですが……)、いまはすべてを自分が選んで、やりたくてやっている感じが強いです。俺のもの(人生)は俺のもの(人生)!!! という感じです。背筋が伸びて、呼吸が深くなります。どっしりした気がします。

 

 

 

早起き生活で人生が変わったか? と問われたら、変わりました! と答えます。軸が自分にあるっていいなあ、と思います。早起きは、人生を変えるための、手っ取り早い方法だと思いますよ。みなさんも、早起き生活、始めませんか? エンジョイユアライフ! って最後まで自己啓発臭プンプン!!!(わざとですよ、わざと!!!)

 

朝3時起きで人生が変わる!part.1

なんの自己啓発本だ、というタイトルですが……。(わざとですよ、わざと!)「朝型になるまでの過程をお聞きしたいので是非ブログに書いていただけませんか?」とのリクエストをいただいたので、書きます。なにかのお役に立てれば……。

 

 

 

私は3年ほど前から早起き生活を続けている。5時起き、4時起き……とだんだん早くなって、最近ではほとんど毎日3時に起きて活動を始めている。どうしてこんな(変態的な)生活を始めようと思ったかというと、ひとえに「文章を書く時間を確保したかった」からである。前々からなにかを書くのは好きで、たま~に懐かしのミクシィやら旧ブログやら(消してはいないので、いまでもネット上のどこかに転がっていると思われますが、URLは内緒にしておきます……だってだって恥ずかしすぎる! 恥ずかし乙女!)を更新してはニヤニヤと自己満足の世界に浸っていたのだが、3年前のある日、突如として、明確に、「これからは文章を書いて生きていこう!」との決意が降ってきたのだ。ずっと前からうすらぼんやりと「やりたいな」とは思っていたが、心が固まったのがその瞬間だった。そこから生活を変えるのは早かった。

 

以前の生活はそりゃあもう、絵に描いたようなのんべんだらりっぷりだった。ザ・怠け者の生活。夜、仕事から帰ってきてから24時過ぎまでほぼぶっ続けでビールビールビール、テレビ、ビール、ネット、ビール、テレビ、またビール……酔っ払って布団にバターン! そのまま気絶したように眠って、出勤時刻が迫ってようやく文句を言いながら起きる……が、ななななんだこの酒臭さは~、自分がでっかい奈良漬けになったような気分だぜ~、あ~、今日も働く気なくなった~、起きたくな~い、(カレンダーをチラリ……)げげ~、まだ火曜日かよ~、さいあく~、起きたくな~い、つーか働きたくな~い、あーあ、誰か100万円ぐらいぽーんと投げてよこしてくれないかな~、うだうだうだ……といった典型的なダメ人間のタイムスケジュールで動いていた。それはそれで楽しかったのだが、なにかを成す人の生き方ではないですね……。なによりもそんな生活を送る自分のことがあまり好きではなかった。

 

生活改善を進めるにあたって、まずはひとつひとつ自分に問うていった。「酒を飲むのと文章を書くの、どっちをやりたい?」「テレビを観るのと文章を書くの、どっち?」「ネットで遊ぶのと……」「朝寝と……」「奈良漬けと……」答えは、全部、後者だった。即答で、後者だった。圧倒的に、後者だった。私は、なにをおいても、文章を書きたいのだった。

 

夜に文章を書くことも考えたのだが、日中は普通に勤め人をやっているので、帰宅時にはすでにぐったり疲れていた。そもそもその疲れを癒す、という名目でビールばっかり飲んでいたわけだし……。とにかく、夜は、とてもまともな文章を書けるような脳の状態にはなかった。ならば早起きして書くしかないじゃないか……! と思いたち、次の日から早速5時起き生活をスタートさせた。睡眠時間は6時間以上は確保したいので、起床予定時刻から逆算して就寝時刻を決めた。眠くなくてもその時間になると布団に入るようにした。

 

早く起きること自体はそれほど苦労もなくできた。血圧は低めではあるのだが、早く起きることは子どもの頃から得意だったのだ。当時住んでいた家は高台にあって、私の部屋からは遠くビル街の向こうから朝日が昇ってくるのが見えた。東の空の圧倒的なまぶしさは、早起き生活を始めたばかりの私の心を随分と鼓舞してくれた。しかし、5時起き生活を続けて数か月、一度起き上がって机に向かって執筆を開始しても、30分後ぐらいに再び布団に里帰り、お父さんお母さん、ただいま、会いたかったよう、えーんえーん! そうかいそうかい、寒かったろう、まずはのっぺ汁でも食べて暖まりなさい……といった悲劇が相次いで報告されるといった事態に陥った。なぜだ……。単純に、眠りが浅いのだろう、という結論を出すのは早かった。それでまずは夜の深酒をやめた。そして徐々に酒量を減らしていった。いまでは平日の夜はよっぽどのことがない限り、一滴も飲まないようにしている。酒量と翌朝の目覚め爽快感は綺麗に反比例しているのだ、って当たり前ですね、すみません。

 

朝の食事量も減らした。だって食べれば食べるだけ眠くなるんだもん……! せっかく早起きしても、朝ごはん食べて眠くなってちゃ意味がない。私はもともと胃弱である上に、潰瘍の既往歴もある。消化機能がほかの人よりも弱いのだ。それならば……と朝は果物だけ、ヨーグルトだけ、などにしたら布団への里帰り問題はだいぶ解消された。いまでは朝はほとんどなにも食べていない。胃になにか入れるとしてもあたためた豆乳とかハーブティーとかの飲みものだけだ。朝食べないと力が出ない……という人が大半だとは思うが、私はむしろ食べると力が出なくなり、頭も働かなくなるタイプだった。まあそれは人それぞれだろうが、とにかく、私の場合、胃の空っぽ具合と頭のすっきり具合は綺麗に比例しているのだ。(ちなみに最近では昼も食べていない。夜一食のみ。おやつは時折。それで十分に頭も体も動きます……。)

 

早起き生活を続けてしばらく経った頃、手足の冷たさとやる気との相関関係を見出した私は、「冷えとり」のメソッドを生活に取り入れ始めた。天然素材の靴下の重ね履きや1回20分以上の半身浴によって下半身をあたため、血と気の巡りを良くする、という健康法だ。これが私には効果的で! PMSはほぼ解消されたし、生理痛も激減した。(前はその期間は早起きをサボっていた。)それに、足元がぽかぽかしていると精神も安定するのだ。わけもわからず「自分は大丈夫」という気分になるのだ。机に向かってからなにかを書き出すまでのスピードも上がった。迷いがなくなったというか。これは嬉しい副産物だった。寒い季節の早起きも、まったく辛くなくなった。

 

長くなってきたので次回に続きます!

 

©Yoko Koide